強い夢想

この世界には、夢見ることは良いこととする理想主義的な価値観がある一方で、
現実から乖離した夢想を批判的にとらえる現実主義的な価値観もある。

漠然とした理想主義には元気を与えてくれる程度の意味しかないが、
「使命感」「情熱」といった明確で力強い感覚をともなった理想主義には確かな意味がある。
そうした力強い理想主義は、確かなパワーとプロセスと成果物をもたらしてくれる。

これは同じ理想主義でも中身が違うので、「強い夢想」と呼んで区別したい。

強い夢想は、必ずしも明確な目的、目標、根拠を持たない。
いずれかが欠けているからこそ理想主義的だとすら言える。
これらが欠けていても、明確で力強い感覚がありさえすれば良い。
力強い感覚が確かなパワーとプロセスと成果物をもたらしてくれる。

ここで偉人たちの言葉を見てみよう。

理想主義のない現実主義は無意味である。現実主義のない理想主義は無血液である ロマン・ロラン 理想主義的平和主義の作家
現状は悲観的に、将来は楽観的に 谷川浩司 棋士
現状の知的分析はあくまでも悲観的に行い、将来に向けてはあくまでも楽観的に行動しよう アントニオ・グラムシ イタリアの政治活動家
頭は徹して現実主義であれ、胸には理想主義の炎を燃やし続けよ ヨハン・ガルトゥング 行動する平和学者

ここでは現実主義と理想主義、悲観と楽観は相容れないものではなく共存すべきものとされている。
いずれも内容的には似ている。さまざまな偉人が口をそろえて、現実主義と理想主義の両立、悲観と楽観の両立を説いている。
一般に、二項対立を立ててどちらか一方だけを選択するのは偏りを生む。うまい組み合わせや中庸を考えるのが良いと思う。

ここでの理想主義は言うまでもなく強い夢想である。

強い夢想と楽観主義は相性が良い。
なぜなら、夢のために我が身をなげうって尽力している人間にとって悲観主義はありえないからだ。
もちろん現実的なデメリットやリスクは考える必要があるが、それと悲観とは全く別問題である。
悲観とはデメリットやリスクをただ考えることではなく、それを過大に捉えることである。
そして過大にデメリットやリスクを考えてしまうのは、結局のところ我が身が可愛いからではないのか?
つまり、自分の身を夢に献げている人間にとって、悲観主義とはありえないものである。